佐鳴湖湖畔に広がる境内には、浜松駅より15分ほどの立地ながら自然が多く残り、水が湧く小川などにはホタルが飛び、サワガニが群生しています。
平成の小堀遠州と称される当代随一の庭師 北山安夫氏による庭園が広がり、訪れた人を楽しませています。
また、史跡・文化財なども多く残り遠州地域の歴史を今に伝えています。
また、平成29年には涅槃堂新築に合わせ、ダウン症の天才書家「金澤翔子」さんの「世界一大きい般若心経」が奉納され、社会福祉教育と仏の心を多くの方に伝えるため、常設展示されています。
庭園も、書画も、どなたでもいつでも拝観可能です。
第22世住職 木宮行志
略歴
昭和53年生まれ
臨済寺専門道場で修行後、龍雲寺に入寺。
坐禅会をはじめ、子供サマースクールなど様々な企画を始める。地域での布教に努める一方で、ボランティア活動である、お寺婚活「吉縁会」を企画し発足。龍雲寺で始まった吉縁会は現在では静岡以外にも、東京、名古屋、岐阜、仙台、京都北、大分などで開催している。
平成30年4月 住職就任
webマガジンに連載中 webマガジンハタラク
この度は、当山のホームページにお越しくださり誠にありがとうございます。
私は、お寺というものは、昔のように誰もが寄れて、心の拠り所でなくてはいけないと思っております。
現在、坐禅会・写経会・懇親旅行・お寺婚活などを行いながら、理想に近づくように悪戦苦闘しておりますが、まだ道半ばというところです。
その中の一つとしてホームページを制作しております。
私が小さいころは、こうしてパソコンや携帯を通じて、様々な方々とご縁ができるとは想像すらつきませんでした。
ただ、ご縁はご縁。インターネットという仮想空間で生まれたご縁が、実社会のご縁となり、皆様のお心の支えとなればうれしく思います。
第22世住職 木宮行志
龍雲寺ができたのは、今から約七百年前(南北朝時代)です。開基(寺院を開創した方)は、御二条天皇の御皇孫にあたる木寺宮康仁親王です。康仁親王は、天皇になる正当な血筋でしたが、後醍醐天皇の台頭によりその道が断たれ、東国に下向され、現在の龍雲寺東墓地あたりに御館を建立され、さらに祈願所として御館の南西に寺を建てられました。これが当龍雲寺です。寺を開くにあたり、後に普明国師と仰がれる立派な方を勧請開山として迎え、康仁親王の第二子を出家させ、龍雲寺第一世となさいました。
木寺宮家は康仁親王以後二百五十年あまりに渡り、ここにお住いになっていました。康仁親王より八世(赤津中務少輔)の時代、元亀三年(一五七二年)に武田信玄が徳川家康と戦った三方が原の戦いが起こりました。宮家は、開山普明国師が武田家菩提寺の恵林寺の弟子で甲斐の国出身であった御縁から、合戦の際に武田方の味方をした為、合戦後の天正8年(一五八〇年)十月に、家康の軍勢に攻められました。宮家は自ら建物に火を放ち、信州を抜け越後方面へ逃げたと言われています。この兵火により、本尊阿弥陀如来像と山門を除く寺の建物は、すべて焼け落ちてしまいました。現在の山門は地震で潰れたものを二百年前に再建したものですが、屋根には鯱瓦があがり兵火以前の名残を見ることができます。
■本尊 阿弥陀如来坐像 平安時代作 指定文化財
■徳川家康公 判物 龍雲寺全山焼失前のやり取り
■本堂襖絵・龍図衝立 江戸時代
■白隠禅師書画ほか高僧書画
■江戸~近代の絵師による作品 海北友松・伊藤若冲・横山大観・狩野派絵師
■阿弥陀経 現代を代表する書家 柳田泰山氏奉納
■世界一大きい般若心経 金澤翔子さん奉納
御本尊など以外の寺宝は、数年に一度の寺宝展や、除夜の鐘の際などに特別公開しております。
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